峯田和伸君はきっと普通の人なのだと思う。そして普通の人だからこそ、物凄い歌を歌う。人の心を震わせるものは、心の摩擦のあるところにしか生まれない。例えばそれは、愛する人への狂おしい想いであったり、すれ違いの悲しみであったり、どうしようもない自分に対するやり場のない怒りであったり、その形はさまざまである。僕らが日常を生きていくなかで日々感じているそんな心の摩擦のひとつひとつを、峯田君はけっして流してしまうことなく、曖昧にすることなく、ストレートに歌にする。ありのままの言葉で語られている歌詞には、アブナイ表現や単語とは裏腹に、繊細で感じやすい一人の青年が等身大でそこにいる。峯田君はそんな彼自身の歌を、あふれ出す感情そのままに歌い、叫ぶ。
自分の本当の気持ちに目をそらさずにまっすぐになること。考えてみれば当たり前のことである。でもその当たり前のことが、いつから僕らにとっては当たり前でなくなったのだろう。間違えることや駄目な自分であることを恐れて、いつからもう一歩前に足を踏み出せなくなったのだろう。峯田君の歌を聴くとそんなことを思わずにはいられない。
前回の曽我部ライブから二週間後。その熱気も冷めやらぬままに5月18日(木)18時、風呂ロックVol.5はスタートした。
緊張しつつもキラリと光るものを見せたオープニングアクトの市川君の熱演の後、いきなり冒頭から「いい湯だな」を絶叫して峯田君は登場した。裸足にアコギ一本。MCには時おり山形訛りが混じる。2曲目の「なんて悪意に満ちた平和なんだろう」では、曲の最後の部分を“なんで俺は大切な日にこんな曲を頭にもってきてしまったんだろう?”と替えて会場を一気に盛り上げる。その他にも、数日前に彼女と別れて一人でライブに来た男の子をステージに上げて励ましの歌を贈ったり、自宅から持参した段ボール箱一杯のAV(使用済み)をジャンケン大会で配ったりと、彼の人柄でステージと観客との距離はさらに縮まり、会場には笑いと歓声があふれてひとつになる。
しかし、そんな和やかな銭湯ライブの雰囲気のなかにも、峯田君がありのままの自分の姿をさらけだして一人裸でこの場所に勝負しに来ていることに、次第に観客は気づいていく。主演映画『アイデン&ティティ』の主題歌「アイデン&ティティ」や「人間」、「青春時代」では生ギターの素朴な演奏ながらも、その気迫に会場は最後の一音、最後の一呼吸が終わるまで、まるで電気に打たれたように拍手すらもできない。この鬼気せまるものは何だ。この胸に突き刺さるものは何だ。実は僕らの誰もが心のどこかで感じている、希望のないメ未来モに向けての怒りと悲しみというべきか、虚しさがポッカリ口を開けたままでもメいまモを生きる強烈な意志のようなものが、滅茶苦茶なエネルギーの塊となって目の前に突きつけられる。ライブ終盤の「SKOOL KILL」でついに感極まった峯田君は、男湯と女湯の境の壁によじのぼって弁天湯全部に絶唱した。
ライブの最中に峯田君がぽつりと言った。“(自分は)変わらないよ”と。こんなにカッコイイ言葉があるだろうか。銀杏BOYZのメンバーも全員がライブを観に来ていた。裸のままの峯田君が好きになった。ライブの帰り道、こう思った。自分が空っぽなのは何もないからじゃない、自由だからだと。ライブレポート/浅見昌弘