2010年2月4日、照明を落した弁天湯の浴室は、濃密な期待感で満ちていた。ビールやホットドリンクを片手にライブ開始を待つお客は、談笑しながら星野源の登場を待つ。女性が目立つが、様々な年齢層の男性の姿も見られた。一人で来た風情の人も、友人や恋人、家族と来た人も、銭湯に溶け込んでいく。
チケットは、発売から瞬く間に売り切れていた。集ったお客の思いを一身に受け、19時、壁に描かれた富士山をバックに、星野が表れる。
「4日間…
下痢をしております。
今日のせいだと思います。」
衝撃のMCで会場を笑わせつつ、彼は想像以上のプレッシャーを感じていたのかもしれない。今回の星野は、これまで活動していたバンド「SAKEROCK」を離れ、ライトの当たる舞台に一人鎮座する。
オープニングはSAKEROCKのアルバムからの曲。手にしたギターを奏でながら、星野の声が、魔法のような時間を生み出していく。
彼のライブは見ていて不思議だ。お客が動かないのである。通常「ライブ風景」というと、聴き手がリズムや音に体を乗せ、首を振ったり横に揺れたりする姿が浮かぶだろう。ところが、今回の観客は殆んどがまっすぐ立って星野と向き合う。そして星野もずっと、客席を見つめて唄う。不動なのは気持ちが離れているからではなく、むしろ歌を通じたコミュニケーションが密になり、動こうとする意識さえ邪魔になっているからだ。その星野の口から紡ぎだされるのは、日常の生活の中で言葉にしないまま放っていたような気持ちである。
彼の作った歌を聞いていると、自分が昔から持っていた思いが星野の声を通じて言葉になったような錯覚に陥る。聴き手が未経験のことを唄ったものであっても、そう感じさせてしまうようだ。例えば、20年来使用のお茶碗をモチーフにした歌。それを使った老夫婦がお互いの老いをうけとめ、慈しみ、一緒に過ごしてきた長い時間の愛おしさが伝わってくる。その言葉を生み出す眼差しは、薄くなった髪や呆けも見逃さず、甘くない。しかし、その残酷すら逃さずに掬い取る視点には、総てを受け止める優しさが孕まれている。また、ひさしに映るライトの明かりや、台所といった日常の風景を捉える視点が示される曲もある。そして、「世界は一つじゃない」「さあ、やりなおし 今までの色々は忘れていいよ」と、いつか言いたかったり、言われたかったりした言葉が澄んだ声で聴き手に届けられる。
日常でどんどんと忘れていく細やかな気持ちに、星野は一旦止まって丁寧に向き合うようだ。観客が二本足で床をしっかりと踏みしめ彼の歌に向き合う姿は、星野の作った詞と同じように、出合ったものから安易に通りすぎてしまうのを拒否するかのようだ。
しかし、ライブ後半、雰囲気は一変する。
実はスペシャルゲストを用意していなかったという星野の侘びのMCの後、
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
という絶叫とともに、バスローブを羽織ったSAKEROCKのメンバー・浜野謙太が客席後方から登場。高々と上げた左手には自らを照らす懐中電灯、右手にはケロリン桶を持っている。会場が、一機に沸き起こった。途端に爆笑と手拍子と横揺れが生まれる。SAKEROCKでは突飛でユニークなキャラクターを炸裂させている彼も、現在は別に活動しているバンド「在日ファンク」のファンクを真摯に追った活動で注目を集めている。今回は、トロンボーンやダンス、掛け声、スキャット等、ファンクと笑いを絶妙にミックスさせて会場を大いに盛り上げた。舞台上の二人を例えると、星野が詞と声を通じて記憶や思考を促す「脳みそ」なら、浜野はリズムや響きを孕む「体」だ。二人の歌い手の裁量が掛け算で増大していく舞台になった。終盤、浜野のトロンボーン演奏が銭湯のかまぼこ型の高い天井に響き渡り、星野と浜野、観客と浴室とが一緒になって、一つの楽器になるようだった。
前半と後半の変化は音楽の楽しみ方の幅を感じさせ、同時に対比によって星野という歌い手の個性を際立たせもした。濃いステージはアンコールまで含めて7200秒。外に出れば息の白くなる夜に、星野の声が浴室を満たした。終了後、沢山のお客がライブに酔いしれたまま語ったり笑ったりしている中、一人で眼を瞑って歌を聴いていた眼鏡の男性が笑顔になって振り返り、出口へ進んでいくのを見た。
ライブレポート/田中みずき